第83話   庄 内 竿 U   平成16年02月29日  

「庄内竿を使っても良いが、カーボンと異なり重いし、使うと竿が曲がって手入が大変だから・・・・」とそう云う人が多い。庄内竿をとカーボンと比べると云うのもどうかとも思うが、自分も後の手入が面倒でこの三、四年は手入れのみでまったく使っていない。釣道具屋からは「この竿は3年子で良い竿ですよ!!」と云われて買ったのにも拘らず癖が良く付いた。自分の竿は購入価格の安い竿であったからか、癖が付き易い。三十数年前で月収の一ヶ月分位の価格で5回くらいの分割で買ったと記憶している。

現在使える庄内竿は、すべて中通し竿で市内K釣具から買った6尺の小竿1本とN釣具の二間二尺五分と二間一尺五分の2本である。市内K釣具で買った6尺の小竿は店主が5〜6年大事に使っていと云う延べ竿を止めろといわれたが2本継ぎの中通しに改造して貰った物である。買った年小物釣に使って見たが、すぐに癖が付き店主が自慢したほどの竿ではなかった。また、N釣具から買った二間二尺五分の竿はウラが二段継ぎとなっていたが、店主が「良い竿だから買っておいても損ではないよ」と余りにしつっこく勧めるのでついつい買って使ってしまった竿である。比較的軟らかい自分好みの竿で二歳を釣るつもりで買った竿であるが「これでも黒鯛竿で尺一、二寸の物位だったら十分に釣れますから・・・」と云うお墨付きの竿であった。にもかかわらず二歳を10枚も釣り上げたところで一段目のウラを継いだ所でポキリと折れてしまった。「自分の使い方が悪かったからか・・・?」とも後で思ったが、 折れたところを自分で補修し、そのまま現在に至っている。残りの一本の二間一尺五分であるが、これもやはりN釣具の店主に良い竿だからといって勧められて釣友達が買った竿である。この竿は自分の竿よりも細く、細すぎて彼には釣れる魚も合わせが利かず使いこなせなかったので「自分に合わないから、買ってくれ」と云われて買って差し上げたものである。腰抜け竿ではないが、少しヘナヘナする竿で、いくら遊び竿でも魚を釣るには少し難しい竿である。でも釣れれば結構面白い竿であった。何時だったが、自分で矯めるよりもと思ってN釣具の店主にメンテナンスを頼んだ時、流石に気が咎めてか「これは良い竿だが、もっと別の竿を作って差し上げます」と云われた。其の年の彼は忙しかったらしく、翌春まで待ったが、「中々時間が取れなくて・・・・」と云ってそのままの矯めた竿を返して寄こした。結局其の店主はその後、数年で竿作りを止めてしまったので別の竿は届いていない。

特に安竿は、使う前迄は真直ぐに矯めてあるのであるが、魚を数匹釣っただけで直ぐに簡単に曲がってしまう。そこで竿をクルッと回転させて使う。名竿、良竿は竿にそんな曲がりが生じても一日たてば何も無かったかのように又真直ぐになる。ところが安竿はそうは行かない。釣行二、三回に最低一回は竿を矯めなければならない。まして二年子を三年こと云われて買った竿に至っては毎回竿をノサなければ使い物にはならない。火に当てることで多少は絞まっては来るがいくらノシタところで名竿や良竿の様には行かない。

三年子、四年子の竹で45年かけてきっちりと手入された名竿と迄も行かなくとも、良竿クラスの竿でも決してそんな事にはならない。ただ、そんな竿を購入することが出来なかっただけで、予算の関係上、安竿を購入せざるを得なかっただけなのである。沢山ある棚に並んだ安竿の中から、比較的良いものを選ぶのもひとつの楽しみであるが、大抵自分の好みの調子もあり後で後悔することになるのが常であった。

名竿は大抵お金持ちの釣好きの釣師やお金持ちの旦那衆の手に入った。そんな名竿でも釣好きの釣師や鑑賞するだけの根っからの竿好きの人もおりそれらの人たちに大事に保管されてきた。釣好きの釣師の所有のものは実践でも使用され大抵遺言竿として次ぎの竿の所有者が決まっていたが、竿を鑑賞するだけの好事家の竿などは其の家の代替わりで釣に興味が無ければ宝の持ち腐れとなり捨て値で処分されたり、ひどいのになると畑の野菜のつっかい棒になっていた事もあったようだ。

そんな訳で名竿、良竿等は失われますます希少価値となっている。其の上、竿作りの竿師の減少で良竿ならずとも価格が高く中々手には入り難くなってしまった。結局、自分好みの調子のカーボン竿を手に入れて自分に合うように改造して使うことが多くなった。1020万以上の価格の庄内竿よりも、あまり手入れの不必要なカーボン竿であれば、安くて23万高くて45万で立派で十分使用できる竿がいくらでも買える。

ただ庄内竿に伝わる当たりや釣れた時の魚の躍動感とか醍醐味は庄内竿には到底かなわない。これからは数よりも楽しむ釣の時は、庄内竿を使いたまには潮風にでも当ててやろうかと考えている。